埋もれた自分を探し出す”長期インターン”
「本当にやりがいのある仕事」をしていると誇れる人が、この世にどれくらいいるだろう。
ひそかに抱いてきた夢や、理想と現実との狭間で日々を過ごし、”天職ではない職”に就く理由を見出すことは難しいことではない。働く意義を他者に預けることで事足りるからだ。
働く理由は人それぞれ正解はない。パートナーのため、子供のため、親のために、働く人もいる。
最も身近な存在で毎日顔を合わせ、誰よりも良く知っているはずの「自分」のために働く人は案外少ない。
自分を知らなければ、自分に合った働き方を選択することはできない。「本当にやりがいのある仕事」を見つけるということは、自分自身を深く知ることから始まる。
しかし、他者を知るよりも、自分自身を知る方が難しいことを私たちは知っている。
今日紹介するのは、周囲からの期待に応え続け、受動的な生き方に埋もれた自分を探し出した学生。
半生と共に、そんな彼女を変えた長期インターンを振り返ってみたい。
「『ことぶき』という名前は母が決めました。周りの人達は反対していたそうで、生まれてしばらくは誕生日のみどりの日(現昭和の日)にちなんで『みどりちゃん』と呼ばれていました。」と、笑いながら話す鹿嶋ことぶきさん。大阪府立大学に通う3年生だ。
和歌山県に生まれ、幼い頃から兄妹で山登りや虫取りなどの外遊びが大好きな子で、おままごとや、プリキュアごっこはやったことがない。
また、野球好きな親族の影響もあり、休日は親戚一同でスポーツを楽しむなど、伸び伸びとした環境の中で育った。
「その頃からなんでも一番がよかったです」
そんな性格もあって、小学校では運動もよくでき、勉強も頑張る文武両道タイプに。
4年生からは塾に通いながらも、ドッジボールやバスケなど部活にも力を入れた。
中学は学区の公立に進学。
小学生から続けていたバスケではなく、陸上部に所属した。
「バスケを続けたい気持ちもありましたが『全国屈指の強豪校での部活は大変だから、やめておいたら?』という、母の勧めもあり断念しました。」
部活に加えて、生徒会の体育委員長を掛け持ち。忙しい日々を送りながらも勉強は一切手を緩めることなく、期末試験の最高点は500満点中490点。
ここまでの対話の中で素朴な疑問が湧き、「何でも完璧にこなしていることに疲れたり、勉強をサボりたくなったり、投げ出したくなるようなことはなかったんですか?」と、思わず質問を投げかけた。
「なかったです。サボったり遊んだりすることよりも、勉強していてわからないことを放置する方が気持ち悪くて、なんでも完璧にこなしたいという気持ちの方が強かったんです。」
柔らかくて可愛らしい見た目の印象とは裏腹に彼女はそう答えた。
高校受験を迎えると、模試の結果は県内1位。県内で行けない高校は無く、
どこでも自由に選ぶことができたという。しかし、ここでも進路を決めたのは母からの一言だった。
「ここに絶対行きたい!と言う学校はなくて、母からの『お兄ちゃんも通ってるし、良い学校だからここにしたら?』というアドバイスを受けて、私立の進学校に進みました。」
ことぶきさんは、その名前の由来通り「周囲の幸せ」を第一に考えて生きてきた。部活、勉強、進路など、人生における彼女の選択は、常に”周囲の期待”を映し出す。周りが描く「こうあってほしい」を全力で受け止め、体現し続けていた。
「大学2年生までは自分で意思決定をしたことがありませんでした。」
人から与えられた役割を全うし、常に惜しみない努力を続けてきた。。
ことぶきさんの本心や、本当にやりたい事はなんだったんだろう。
話をしながら、ふと不思議な気持ちになる。
意思なき道の先での挫折
高校には首席で入学。
担任教師からの推薦もあり、3年間クラス委員長をしていた。多い日には0時間目から7時間目まである授業を受け、授業が終わると19時から21時まで、自習室で勉強する生活が始まった。
これまで勉強を苦痛に思ったことが無いことぶきさんにも、さすがに朝起きると、「学校に行きたくない、勉強したくない」という気持ちが芽生えた。
「高校3年間はあまり楽しくなかったです。」
と顔を曇らせる。
そんな彼女を支えるモチベーションはどこにあったのか。
聞いてみると、意外な答えが返ってきた。「京大に入りたくて頑張っていました。」でも、永遠に勉強していないと自分は京大には入れないんじゃないかって気持ちがありました。
車が好きだったからなんとなく理系を選んだけど、多少興味がある程度で、どうしても学びたいことがある訳ではなく、大企業に就職するための手段として京大に行きたかったんです。」
ではなぜ、大企業にこだわっていたのか?
聞いてみると、やはり両親の影響が強かった。
「いい大学、いい企業へ行って、心配をかけないでほしい。」
その期待に応えようと、必死に勉強した高校3年間だった。
しかし、迎えた高校3年生のセンター試験では、京大に足切りされてしまう。受かった私大に行くという選択肢はなく、浪人を決意した。こうして1年後、再び挑戦することを誓い彼女の新たな1年が始まった。
実家の和歌山から予備校がある大阪 難波までは片道2時間。最寄駅と家の送迎で親に負担をかけたくなかったことぶきさんは、祖母の家から予備校に通った。
彼女にとって勉強漬けの日々は、これまでと同じ。周囲の期待に応えるべく、やるべきことをやるだけ。気がかりだったのは、両親への金銭面での負担と自分がどう行動したら迷惑にならないか。そんなことばかりが頭をよぎる、浪人生活の日々だった。
こうして迎えた2回目の入試。
苦手な物理を受験科目から外すために、文転してまで挑んだ京大。しかし、またしても手が届かなかった。
「不合格だったことの悲しみよりも、両親への申し訳なさでいっぱいでした。」
将来を大きく左右する大学選びや学部の選択。人生における大きな岐路に立っても、彼女のスタンスは変わらない。しかし、目指す壁も高かった。日本有数の名門校に自らの意思で臨む者と、そうでない者。
突きつけられた現実が、彼女の人生に初めての挫折を与えた。
埋まらない心の穴。変われない日々。
春を迎え、第二志望の大阪府立大学へと入学したことぶきさん。
思い描いていた華やかな大学生活にはほど遠く、コロナ禍真っ只中の新入生に待っていたのは、youtubeにアップされる動画を視聴するフルリモート授業の日々だった。
この状況では、主体的に外と繋がりを作ろうとしない限り、コミュニティ参加は難しい。しかし、ことぶきさんはサークル見学に行くことはなかった。学生らしく遊ぶことよりも興味があったのは資格の勉強だ。
1年生の時からFP、簿記、MOS、TOEICなど、さまざまな資格に挑戦した。
必死に資格を集めたのは、第一志望だった京都大学との差を埋めるためだ。「絶対に京大へ行った子達よりも、良い企業に入ってやるんだ。」それだけが彼女の原動力だった。
次の勝負は就活だと焦点を定め、そこでどう勝負するか、学歴のハンデを補う為に、今蓄えられるだけの力をつけて4年後の就活に備えようと決めていた。
これまで、彼女はいつも周囲の期待を敏感に察知し、応えようと精一杯努力してきた。学歴への期待に応えられなかったが、挽回のチャンスはある。両親の期待は「大企業への就職」なのだから。ことぶきさんの価値基準=両親の価値基準で、そこはいつだって揺らがない。
純粋な人の想いに心動く瞬間
大学2年生になっても変わらずフルリモート授業で環境は変わらないまま。
孤独な毎日から抜け出すために動き出すことにしたことぶきさんは、インカレビジネスサークルに入ることを決めた。ビジネス企画サークルというコンセプトで、企画を考えるところから実行までを行うサークルだ。
入部理由は友人を増やしながら、就活にも繋がるのではないか?というなんともことぶきさんらしい理由だ。
サークルの繋がりから経営スクールにも所属し、インターンにも興味を持ちだした。大学1年の10月から5つのインターンに参加した。通信会社事務、 県庁の総務業務、 新規事業開発担当、コピーライターなどを経験し、現在は5社目となるGMOアドマーケティング株式会社でインターンをしている。
彼女が経験したインターンはどれも特別なルートではなく、wantedly(https://www.wantedly.com/projects)や大学のインターン紹介サイト、インターンストリート(https://internstreet.jp/)から見つけてきたものだ。
特にその中でも彼女を大きく変えるきっかけになったのは、3社目の20~30代女性向けの日本酒のサブスクリプションだ。数ヶ月に渡る長期インターンで、業務内容は新規事業開発。
メンバーは上司とことぶきさんの2名だが、他の業務もある上司は、新規事業だけに注力はできない為、実務はことぶきさんが担った。主にPRやマーケティングを担当。SNSの運用は自ら行い、これまでビジネススクールで学んだことを積極的にアウトプットし、上司やビジネススクール講師に相談しながら、PDCAを回す。
責任とやりがいを感じることができる大きな仕事だった。しかし、ことぶきさんの努力もむなしく、経営は半年で事業撤退を決断する。当初、1年ほどの猶予があるはずだったが想定以上のマーケットの小ささや、競合の参入を受けてメイン事業に集中するための苦渋の決断がされた。
「クライアントや上司の想いを諦めなくてはいけないことに、無力さを感じました。
価値があると信じて届けようとしている人たちがいるのに、それを支えられなかったことが悔しくて…。」「”やりたい”という、純粋な想いを応援したい。」
インターンでの挫折経験を通じて、初めて自分の中にある気持ちを知り、本当にやりたいことに出会った瞬間でもある。
自分を知り、自らを変える未知への挑戦
「周りの人のやりたい事を応援したい。」
「やりたいっていう想いを大切にしてほしい。」
「やりたい事をあきらめてほしくない。」
そのために自分は何ができるのか?突き詰めていく中で出たのが「他者の可能性を引き上げる」という自己理念だ。ことぶきさんは今、”自分の”言葉でこう語る。
「自分の人生で成し遂げたいことは、誰かの幸福の為に行動しようとする人が、より早く、より多くの人に幸福を届けるために助けになることです。」
そんな彼女は今、次のステージで新たな挑戦をしている。一般的なビジコンとは異なり、参加者がビジネスモデルを作り、その完成度と新規性により優劣を競うものではない。
あらかじめビジネスプランを考えてくる必要はなく、持ち物は勇気とやる気と元気だけ。二日の参加期間でプランを考え、プレゼンしてもらうものだ。
「やりたいはあっても、達成できないと諦めていない?」
「まずは言語化してみよう。案外できるよ?」
ということに気づけるビジコンを目指している。自身の経験も踏まえて
「今の大学生はやりたいことがあっても、それを見つけられていないんじゃないかと思います。就活の時期になりなんとなく行った自己分析で、なんとなくここかな?という理由で就職し、結果として3年後の退職者は4割になってしまうことがもったいなくて…」
自分のやりたいことがわからなくても、受動的に生きていけることも、自分の意志を持ち、自分で定めた目標に向けて生きていくことの喜びも、どちらも知っていることぶきさんが言うと、説得力のある言葉だ。
だからこそ、今の大学生にも自分と同じように経験してもらいたい。
「やりたいことを見つけて欲しい。それが起業でも就職でもいいが、少しでもやりたい方向にみんなが進めるようになったら楽しい世界になるんじゃないか、そして願わくばみんながやりたいことができる、彩のある世界になるような手助けをしていきたいです。」
と、ことぶきさんは言う。
トライ&エラー
入学当初は「大企業に就職する」という両親の望むレールを歩むはずだった。
その為の努力も人一倍してきた。
しかし現在はインターンでの経験を経てビジネスコンテスト型インターンシップ『TOMOSHIBI』の企画、運営をしている。
「大学生のためのプラットホームを作りたいです。
ここに来れば人生が変わるきっかけが得られるような場にしたいと思っています。」
具体的には
ビジコンでの起業体験を通して、「やりたいことはあるけど、実現方法がわからない、やりたいことを見つけたい。」という学生の「一歩目」を応援し、アクションが生まれるきっかけを提供しようという団体だ。
自分のやりたいことを模索できる、そんな場にしたいという気持ちで活動している。
これからの社会を生き抜くには、替えのきかない人材になる必要があります。 会社でも個人でも活躍できる武器を配るためのビジネスコンテスト型インターンシップ『TOMOSHIBI』を考えた。
最後に、後輩に向けたメッセージを聞くと、彼女はこう答えた。
「挑戦するのはめっちゃ怖いと思うけど、学生の間に失敗を恐れずに色んなことに挑戦してほしいと思います。」
インターンと聞くと、いち早く仕事というものを経験するための場所と思う学生も多いが、実はトライ&エラーを繰り返しながら、自分を探し出す場所なのかもしれない。恐れずに一歩踏み出さしたその先で、きっと新しい自分に出会えるはずだ。
ここまで読んでくれた方、挑戦することを探している方、ぜひことぶきさんとお話ししてみて下さい。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
また次のインタビューもお楽しみに(^_-)-☆