今回お話を聞いたのは、慶應大学文学部4年生の安部主馬(あべ かずま)さんだ。
とてもコンサバティブで、コンビニで新商品を買うことすらあまりしないような性格。
そんな北海道の田舎町出身の野球少年が、大学進学と同時に上京し、どんな学生生活を送り、どうやって大手食品メーカーの内定を得たのか、話を聞いた。
粛々とタスクをこなす少年時代
北海道にある釧路の隣、白糠町で生まれた。
山と海に囲まれ、車もあまり通らない、人口7000人ほどののどかな町。
両親ともに教員の保守的な家庭だったという。
小学校、中学校までは全校生徒が70人ほど。
一人っ子だったが、全校生徒と顔見知りという少人数でアットホームな雰囲気のおかげか、寂しく感じたことはなかった。
小学校2年生からは、両親の影響で野球を始めた。
人数が少なく、9人揃うのがやっとだったが、学内だけでメンバーを構成できる数少ない部活の一つだった。
平日は部活、休日は全力で遊ぶ。
教員である両親から怒られないよう、勉強はテスト前の3日間だけ詰め込む短期集中型。
親と衝突しないためにも、点数だけは取れるように勉強していた。
この頃から、タスクが決められている中でそれを粛々とこなしていくことが得意になり、自分でも、「どこか大人びた少年になっていった」という。
中学校時代はテスト期間以外は勉強しなかったが、
中学3年生の時に父の母校である高校の野球部の見学へ行った際、雰囲気の良さに惹かれた。
持ち前の要領の良さもあり、釧路で唯一の進学校に見事合格を果たした。
高校入学後、初めてのテストで、30点台をとったことで「やばい」と焦りはじめたという。
加えて、野球部では1教科赤点を取るごとに週に1回、2教科赤点を取ると週に2回部活動に参加できないという厳しい規則もあった。
「やりたい事をするためには、やるべきことをしなくてはならない」
と気付き、映像授業の塾にも通い出した。
授業→部活→塾での映像授業→確認テストという生活のルーティンができた。
ルーティンができてしまえばこちらのもので、
小中学校時代と同様、タスクが決められている中でそれを粛々とこなしていく毎日の中で、
高校2年生から勉強の芽が出始めた。
受験勉強、開始。最短ルートで、最低限の努力でゴールを目指す。
教員で保守的な両親のことを尊敬はしているが、小さな努力の積み重ねを美徳とする彼らに反発したい部分があったそう。
反発心を持ちながらも、自分にも同様に保守的な部分があり、志望校選択の際にも
「今まで学んだことがない学部に行って、ダメだったらどうしよう」
と考えた。
失敗するくらいなら、学んだことある学問を…と考え、
得意科目で勉強にも力を入れていた歴史や文化を学べる文学部に絞った。
しかし、地道な努力をコツコツ積み重ねるよりも目標を定め、最短距離で達成するにはどうしたらいいのか?を考え、効率重視の勉強方法をとった。
部活動を続けながらの受験勉強は、勉強に割ける時間も限られている。
友人付き合いを大切にしたい気持ちもあり、みんなといる時は楽しく、
影では成果を出すために最低限の努力で結果を出すというモットーの元、受験勉強に打ち込み、見事、慶應大学に合格。
上京することが決まった。
次なる目的地が見えない。初めての、燃え尽き症候群。
大学へ入学すると同時に始まった、一人暮らし。
軟式野球サークルに入り、塾講師のアルバイトも始め、順風満帆な生活ではあった。
しかし、当時まだコロナ禍の東京で、一から生活の基盤を築くことは、思っていた以上に気骨が折れ、何度か体調を壊した。
原因不明でEBウイルスに感染し、母親が病院での検査に同行するために上京してくることさえあったという。
そんな生活の中で、完全に受験の燃え尽き症候群になった。
高校時代あれだけ好きだと思った世界史も、可視化される点数を取るために頑張っていただけで、本当は好きじゃなかったかもと思ったほどだった。
とにかく授業→サークル→アルバイトというタスクをまわしながら、
今まで家族がやってくれていた家事や、暮らしていく中で起こる雑務を日々をこなしていくことに精一杯で、
新聞やニュースから知識を吸収したくない、とまで思っていたそう。
周りと差をつけたい。けど、どうしたらいいか分からない。
大学3年生の春。とうとう就職活動について、真剣に考えなければいけない時期が来た。
「自分の中で楽しいと思えて、誇りを持てる企業で仕事をしたい。」
そう考え、食品、エンタメ、メディア関係の業種を志望していた。
しかし、どうやったらそこに辿り着けるのかわからない。
サークルやアルバイトの話だけでは就職活動ではあまりインパクトを与えられず、埋もれてしまうのでは?
何か周りと差をつけられる事はないか?
と考え、信頼するサークルの先輩の久野啓伍さんに相談したところ、長期インターンを強く勧められた。
興味が湧き、営業という職種でインターンにチャレンジすることにした。
営業を選んだのは「就活に汎用性が高いだろう」と考えたから。
社会人にとって、喋るスキルやビジネスマナーは必須だ。
今の自分に営業が一番合っているし、必要なスキルも高められるのでは?と思った。
一方で、そんな気持ちとは裏腹に、過去に受けた訪問営業の印象が強く、
営業そのものに、実はあんまり良いイメージを持てていなかった。
「プレッシャーが大きい」「強引に売りつけないといけない」など、一般的に営業職はネガティブなイメージを持たれがちではないだろうか。
安部さんには、「それにも関わらず世の中には営業職の人がいるのはなんでだろう?」という疑問があった。
ネットで営業職について調べればどんなことをしているのかわかるかもしれないが、
実際に営業というものを体験して知ってみたいという気持ちもあり、挑戦を決めた。
自分としても、会社としても、初めての営業活動。
2023年に株式会社loTコンサルティングでインサイドセールスのインターンを開始。
週に2、3回で1日5時間で学業とも並行しやすく、学業を疎かにしないスタンスの企業を選んだ。
しかし、企業として「これから営業活動を始めてみよう!」と動き始めたタイミングで入ったインターンであったため、前例も無ければ同期もいない状態。
同僚が営業のロールプレイングを手伝ってくれたりしたが、
正解がわからないまま、手探りの状態で営業電話をかけ続ける日々。
正直、辛かったと、当時を振り返って安部さんは話す。
アポイントが全く取れないことも辛かったが、何より辛かったのは
そのサービスや商品が不要な人からは強い言葉が返って来ることだった。
電話をかけると、キツい言葉で跳ね返される。
全て自分が悪いわけではない、と頭ではわかっていても
自分自身を否定されているような感覚にもなった。
ここで安部さんは
「モヤモヤするけど、事実は事実として、営業とはこういうものだと受け入れることにした。」という。
決めたことを粛々とこなせる性格が活き、淡々と受け止めることに徹した。
そうは言っても、辞めたくなったこともあったと話す。
しかし、紹介してくれた先輩の手前、裏切れないという気持ちもあり、
また、手探りで営業していく中でも、長期的に見たら今後に活きるという確信があったため続けることができた。
いきなり本番は不安だからこそ、一歩先に経験しておく。
現在は、希望していた大手食品メーカーから内定が出ている。
その内定も、インターンの経験があってこそだという。
「学生時代に力を入れた経験」では、前例がない中で営業を行ったのエピソードや、
電話をかけ続ける中で大手企業との契約が取れたことを話すことで、
他の就活生より面接官へインパクトを残すことができた。
もし、インターンをしていなかったらサークルのことしか面接で話せることがなく、埋もれてしまうガクチカしか書けなかったかもしれない、と振り返る。
「どこにも就職できる未来も見えないと思うほど」ともいう。
だからこそ、「絶対にインターンをやったほうがいい」と安部さんは言い切った。
言い切れたのはインターンを通して、安部さん自身に変化があったからだ。
これまでは何かを始める時はどうしても保守的になり考え込んでしまい、自分で取り組むまでのハードルを勝手に上げていた。
しかしインターンを経験してからは、あれこれ悩むよりも、些細なことでも気になることは積極的に取り組むようになった。
インターンでたくさんのことを学んだが、1番の収穫は「まずやってみることの大切さを学べたこと」だ。
特別な人がインターンやってるわけじゃない、普通の人でもできる。
社会人になることが、働くことが、不安な人こそ、
インターンで一足先に社会人を経験してみよう。
やってみることで自分の中に何か変化を起こすことができるかもしれない。
そしてそこでの経験が就職活動はもとより、今後の選択に活きてくるはずだ。