プログラミング

蛭子梨央×株式会社アールナイン【長期インターン体験談】


自分にとって「楽しい、嬉しい」という経験だけでなく、

「辛い、悲しい」といった経験も、

全てが今の自分に繋がっている。

「起こること全てに意味があるんだ」と話すのは

静岡県立大学 経営情報学部 経営情報学科4年の蛭子梨央(えびす りお)さん。

辛く悲しい経験も、自分の糧に変え、積み上げてきたことが花開き始めた彼女に話を聞いた。

いじめの後遺症

幼少期は明るく、母を公園まで引っ張って行くような子供だったが、

小学4年生で転校した先でいじめに遭った。


小学校の卒業前にはいじめはおさまったが、後遺症が残った。

うまく話すことができない。

やっと声が出ても蚊の鳴くような声で、相手に届かない。

家では明るく楽しく過ごせるのに、一歩外に出ると声が出ず、雑談ができない。

特に1対1だと途端に話せなくなり、頷く事しかできなかった。


「まるで地の底にいるような感覚でした。」という。

当時は焦っていたが、ひとつだけ良い面もあった。

それは話すことができないからこそ、内省し、自分で考える力がついたのだ。


この力は進路決定の際も大いに役立った。

小学校から高校までの夢はゲームクリエイター。

その中でも特に、エンジニアを目指していたが

小学生のうちは、パソコンに触る習慣も無かった。

しかし、蛭子さんは今できることを考えて情報処理部に入部し、

パソコンの基礎知識を得たり、ワープロ検定を取得した。


また「将来どんな仕事に就こうともコミュニケーションしなくていい仕事なんかない。」

と悩みに悩んだ末に、中学2年生の時に生徒会の副会長に立候補する。

1対1がダメでも、1対多数なら大丈夫なんじゃないか?と考えた故の挑戦だった。

これで自分が変われるという確証はなかったが、現状を打破する為に一歩踏み出した。

笑顔を取り戻す

高校進学の際は、ゲームクリエイターの専門学校に行く為に、

プログラミングの授業もある静岡商業高校の情報処理科に進学。

そこで二つの大きな変化があった。


一つ目は対人関係。

入学当初もまだ1対1で話すことは怖かったが、

「知り合いが少ないここでなら0から人間関係を作っていけるかも?」

と思い、周囲に積極的に話しかけた。

昼休みの教室で、中学時代の自分と重なるようなキョロキョロしながら一人で食事をとる子を見つけた。

声をかけると、ゲームが好きという共通の趣味もありすぐに意気投合。

その子と話していると居心地が良く、無理せずに会話が続けられた。

気づけば素で話せる友人になり、久しぶりに声を出して笑った。


その瞬間に声を出して笑った自分に驚きつつ、

今まで「どうやって変わればいいんだろう?」

と悩み続けていたが、居心地の良い人になら素を出せるとわかり、

肩の荷が降りた瞬間だった。


二つ目は進路。

高校2年生になる前まではゲームクリエイターになるため、専門学校を志望していた。

中学に引き続き情報処理部に所属し、基本情報技術者という国家資格取得に向けて勉強していた。

情報の勉強の中に経営やマネジメントの内容も含まれており興味を持つようになった。

プログラミングは好きだけど苦手な領域だったこともあり、

経営学を勉強したいという気持ちが段々大きくなっていった。


しかし専門学校へ行くと経営の勉強はできない。

ここで大学進学という選択も考え始めた。

県内の様々な大学のオープンキャンパスに参加する中で

静岡県立大学の経営情報学部なら経営も情報も勉強できて自分にぴったりだと感じ、大学進学へと進路希望を変更した。

コロナとともに始まる大学生活

大学入学はコロナ禍への突入と同時だった。

授業は全面オンライン。

入りたかった地域コラボサークルも夏までは活動休止。

閉塞感が漂っていた。

インターンへの挑戦

県立大学を志望した理由の一つに、オープンキャンパスで会計学の教授の模擬授業を受け授業スタイルに感銘を受けたということがあった。

コロナも落ち着き始めた2年生の頃、

その教授の紹介で夏休み期間にデータ分析の経験を積む為のアルバイト兼インターンの募集があった。

「面白そうだな」と思うと同時に、

この企画に参加すれば専門的で実践的な知識を身につけることができるのではないか?

と思いすぐに応募した。


業務内容は、会計事務所の顧問先の売上データと社員の業務量を分析し、

売り上げに見合った業務量なのかを検証し、経営課題を見つけるというものだった。

自社社員の工数に対して、売り上げが少なければ、顧客と交渉したり、

逆に工数が妥当であっても、時間がかかる理由を原因を分析するのは実践的でワクワクした。

その業務を1年ほど担当する中で、自分の中である仮説ができてきた。

与えられた業務だけでは終わらせない

自社社員の工数は日報データを元に作成されていたが、

日報を正しく提出できていない場合があることがわかってきた。

例えば営業部の社員が出先から直帰した場合、

日報の提出が滞り、正しい内容が提出できず、

結果として分析する要件が揃わない、という悪循環になるということに気付いた。


正しいタイミングで正確な内容の日報を提出できていない原因は、

日報システムにあるのではないか?という提案を行い、

インターン生が主体となって新しくアプリを開発することになった。


アプリの企画と設計を行うにあたり、

社員に、なぜ日報を書くことが億劫なのか、どうすれば書く習慣がつくのか等、

どのような要素が必要かをヒアリングし要件定義から画面設計まで担当した。

インターンをする際、与えられた業務を粛々とこなすだけでなく、

業務の中から自分で課題を見つけ、解決に向けて能動的に動くことで、

新しいことにも挑戦することができた。

好きなことよりも得意なことを

就職活動が始まった。

当初は自身のいじめの後遺症から脱却した経験もあり

「変わりたいけど変われない人のサポートがしたい」という思いで、

人材業界でキャリアアドバイザーになることを志望していた。


また職種を決める際も、中学時代に苦手を克服した経験から

「苦手なことに挑戦したくなる」「苦手なとこを補って、穴を埋めて行きたい」

という思いがあり、営業職ばかりを見ていた。

「得意なことを仕事にしたほうがいいよ」というアドバイスはされたが、得意なことを仕事にすることは、逃げているような気がして避けていた。


しかし色々な人から話を聞く中で、

得意なことを仕事にする方が、自分も楽しく働けて、成果も出やすく、企業にとってもその分野を得意な人を採用した方がメリットがあり、どちらもWIN WINなのかな?と考えるようになった。

そうなると今志望している営業職は違うのかも?と3年生の11月に思い始めた。

しかし、その時点で既に6社で営業職の選考が進んでいたため、

ここからどのように舵を切ればいいのかわからなかった。


悩みを抱えたまま、今の内定先の3次面接を受けた時に面接官から

「総合職で受けているけど、デジタルマーケターとかSEの方が向いてると思うけど、どう思う?」

との提案。


それまでは「挑戦したい」「こういうことを私はやらなければいけない」という使命感で営業職に絞って就活をしてきたが、

デジタルマーケターやSEの仕事は、調べるだけで、

「楽しそうだな」と思い、研修でどんなことをするのかなど考えるだけでワクワクした。

純粋にプログラミングが好きな気持ちが蘇り、

ゼミで情報処理を学んできたという自分の強みを見つめ直した結果、

SE志望に変更し現在の内定先に就職を決めた。

学生団体とインターンの違い

3年生の2月からは内定先の株式会社アールナインでのインターンを始めた。

週に3回、6時間頻度でインターンを行っている。

ベンチャー気質な社風の為、

SEとして採用されたがSE業務以外にも社内公募で様々なことにチャレンジできる環境だ。

広報や新卒採用にも手を挙げ、Wantedlyの記事の企画なども行っている。

やりたいと思ったことに挑戦でき、裁量も大きい。


2社目のインターンになるが、学ぶことは尽きない。

学生団体では、終わらない作業があったとしても自分一人で期日までにガムシャラに進めることができる。

しかしインターン先では企業であるが故に、働いてはいけない時間帯があり、

限られた時間の中でチームとして働くためには

担当者の時間的なキャパシティとメンタル的なキャパシティを考え、確認しながら仕事を振っていく。

期日から逆算し各担当者の仕事の期限を設定し、

予定通りに進まない場合は早めに調整を行う。


決められた時間の中で、自分一人の仕事をするだけではなく、

他のメンバーの進捗にも気を配りながら効率的に仕事を進めることは、

難しさがあるが、大きな学びとなっている。

綺麗事ではない自己分析を

後輩へのアドバイスを求めると、

就活のためになんでも良いからインターンをしようとすると

学生と企業の価値観の差に戸惑うことになりかねない。

それを防ぐためにも

「自分がインターンで何を得たいのか、何をやりたいのかを、

面接で話すためではなく、自己理解のために整理しておくと良いよ。」という。


そのために必須になることが自己分析だ。

自分のことを突き詰めて深堀することで、自分が企業に求めるものは何かが見えてくる。

きっと自己分析を進めていく上で、綺麗事だけではすまないこともあるだろう。

「ネームバリューがある会社がいい!」などの打算的な理由があってもいい。

ただ、なぜ自分はネームバリューにこだわるのかを、自分の中に明確な答えを持つことが大切だ。

得意なことを伸ばす20代にしていきたい。

今後の目標はありますか?と聞くと、蛭子さんらしい答えが返ってきた。

「今まで自分の苦手なことにばかりフォーカスし、それをどう改善し埋めていくかばかりに注力してきたけど、

今後は自分がどんなことが得意なのか、動きながら得意なことを伸ばす20代にしていきたい。」

と言う。


「なりたい自分になれていない人や、変わりたい人へのサポートをしていきたい。」

という気持ちに変わりはないが、

前は変わりたい人のサポート=その人と1対1で話すことという解決方法しかイメージできなかった。

しかし、最近は実は他にもあるのではと模索中だという。

今の自分にはまだ思い浮かばないが、

今後、自分の得意を磨き、視座を高めていく中で他の方法も見つけられるのでは?と考えていると話してくれた。

いじめの記憶

世間的には辛いと思われがちないじめの記憶も、

あの経験があったからこそ、全体を見て、今の自分にできることを考え、行動に移す癖がついた。

「いじめられなければ、今ものほほんと過ごしていたかもしれません。」と苦笑いしながら、

今となってはいじめはターニングポイントになった経験だったと振り返る。


辛く悲しい経験も、自ら変わろうと一歩踏み出すことで、乗り越えることができた。

乗り越えた経験は糧となり、世間の波に揉まれた時、乗り越えていくための頼もしいオールになるだろう。

これからどんな波が来ても彼女はきっと、沈まずに進み続ける。