コミュニティ運営

匹田菜波×株式会社Social Design【長期インターン体験談】

3年前、突如としてコロナ禍に突入。

今まで漫画や映画でしかみたことがないようなシーンとした街。

大学の授業もオンライン化され、人と直接話すことすらできない日々。

あの時、世間に蔓延する閉塞感の中で、

こんな日々がいつまで続くんだろう…

と不安に押しつぶされそうになった学生は多いのではないだろうか?


沖縄県の名桜大学3年生で経営学を学ぶ匹田菜波さんもその一人だ。

不安に押しつぶされないように、休学という選択肢を選び、そこで参加した地域留学やインターン。

感情ドリブンな彼女が、どんな日々を送ってきたのかを聞いた。

おちゃかろさんだった幼少期

宮崎県の串間市に生まれた。

5人兄弟の4番目の7人家族。祖父や親戚が近所に住んでいた。

商店街やモールがない田舎町で、自然の中で遊んで育った。

竹藪の中で焼肉をして、煙を出して謝りに行ったり、

干潟で遊べば靴を無くしたり…

その名の通りおちゃかろさん(宮崎の方言でおてんばという意味)だった幼少期。


6歳からは「強くなりたい」という思いで空手を始めた。

全国大会まで進んだが、

匹田さんの目標はあくまで強くなること。

やる理由がわからない寒中水泳や、厳しい練習に意味を見出せず小4でやめた。

その後は高校3年生の夏まで陸上の短距離選手だった。

年間休日10日。練習はとてもハードだった。

厳しい練習の日々の中

時には理由が明確ではないただ堪えるだけの練習や、

監督や先輩に理不尽な事を言われるときもあった。

そんな環境の中にいたため、「この世はとにかく根性だ!」と思った時期もあった。

特に小学生の頃は頭ごなしに怒られることに疑問も抱かなかったが、

中学に入り自我が芽生えてきた。

監督やコーチに、頭ごなしに怒られたり、無意味に感情で詰められたりするたびに、

自分は感情を表に出すだけではなく

気持ちを言葉で伝えて話し合いができる人間になりたいなと思うようになった。


高校で文部科学省の「トビタテ!留学JAPAN(https://tobitate.mext.go.jp/)」の募集があった。

同級生の中で2人、やってみたいと手を挙げた子がいた。

「私も行かなかったら後悔する…」

元来の負けず嫌いはそう思ったらいてもたってもいられず、立候補した。

すると今までの選手としての活動が評価され、見事合格。

夏休みスポーツ留学兼、語学留学という形で、

アメリカのアトランタ付近の錦織圭さんなどが練習する、IMGアカデミーに通うことが決まった。

自分の目で見ないとわからないということを知った

何もない宮崎の田舎町から、アメリカへの留学が匹田さんに大きなきっかけをもたらす。

留学に行く際、教師や両親は一緒に喜び、激励の言葉をもらった。

しかし陸上部の監督だけは

「アメリカなんて行ってもなぁ…なんか変わるんかな。」

と消極的な反応だった。

「なんでそんな事言うのだろう…」

悔しい気持ちでアメリカに飛び立った。


実際に一ヶ月間、現地でアメリカ人と一緒に練習する中で、

アメリカ独自の体つきに合わせた練習方法を目の当たりにした。

日本にいたのではわからない、その場に行かないとわからない事ばかりだった。

来てよかったと思うと同時に、

世界は自分の目で見ないとわからないことばかりだから、知らないモノやコトを憶測で判断せず

自分の目で見ることが大切だと実感した。


また、この留学がきっかけとなり、

自分が見たことは自信をもって言葉にできるようになり、

見てないことに興味があるなら自ら動いて見にいこう、知りにいこうという姿勢が身についた。

大学は自立したいという思いで、

親元から離れ、かつ九州から飛行機でしか行けないところを選んだ。

暖かくて、国公立の中でも学生数も少ない沖縄県の名桜大学。

もっと世界をこの目で見てみたいという思いから、

3年生からはワーキングホリデーに行こうと決めての入学だった。

コロナ禍へ突入

1年生は大学生を謳歌した。

ところが2年生の春、突如訪れたコロナ禍。

特に沖縄の感染爆発はすさまじく、緊急事態宣言が明けたと思ったらまた宣言が出て行動を制限される。

蒸し暑い沖縄でマスクが外せない日々の中、

毎日オンラインで大学の授業を受け、外出するのはアルバイトに行く時のみの生活。

友人に会うことも少なくなり、どんどん気持ちが沈んでいった。

初めて、死ぬということを考えるようになった。

死ぬ事が怖くなかった時期だった。

「正直この頃のことって何をしていたか覚えてないくらいで…」と振り返る匹田さん。


ワーキングホリデーも行けるかわからない、

先のことが不明瞭な今の状態が、3年生になっても続いたら、

人間として生きていけないだろうなという気持ちもあり、休学することにした。

そんな時Twitterで宮崎県日南市で開かれる

「ヤッチャの学校(https://chihou-atta.com/ryugaku/yaccha/)」の2期生募集を知る。

地域留学への参加

ヤッチャの学校は、「地域を通して人と自分と向き合う1ヶ月」をコンセプトにした

大学生向け地域留学プログラムだ。

高校でアメリカへの短期留学をしてから、

ずっともっと広い世界を自分の目で見るために長期で海外に行きたい、

その為にワーキングホリデーに行きたい、海外で学び、働き、日本に戻り活動したいと思っていた。

きっかけは、高校生の頃に地域創生学で訪れた市役所職員の方の

「これからはあんたたちがどうにか盛り上げていってくれ」という一言だ。

その言葉が頭にこびりつき、高齢者が多く、人口も急激に減少している地元を、なんとかして盛り上げたい、

頑張ってくれる人はいないから、自分がなんとかしないといけない、という気持ちに駆られていた。


しかし海外に簡単に行けなくなったとき、

ふと、自分が日本国内のことすらまともに知らないことに気づいた。

そんな自分が地元のために何かしたいと思ったところで、一体何ができるのだろうか?

だったら知らないなら知ればいい、わからないなら、やってみたらいい。

そう思い、自身の基盤となる地元に戻りヤッチャの学校に参加することにした。

ヤッチャの学校では商店街で生活する。

地域で暮らす人の生き方に触れ、全国から集まった参加者のこれまでを知り、

自分のこれからと向き合う時間を過ごす中で、

今まで自分が抱いていた宮崎県へのイメージが徐々に変わっていった。



先述の市役所職員の方の言葉を受け、

「おとな世代は諦めているんだ、自分たちが頑張るしかないんだ」

と自分の中で勝手に宮崎県の将来に途方に暮れ、絶望していた。

しかし活動の中で、地域の人々と触れ合っていくと宮崎県を盛り上げようとしている人がたくさんいた。

自分がやるしかない!と大人世代に勝手に絶望していたが、希望が見えた瞬間だった。


ヤッチャの学校を卒業後のもっと見識を広めようと思っていた時期に、

Twitterで知った「クラフトインターン」にテストユーザーとして参加した。(23年6月に事業撤退)

クラフトインターンはその名の通り自らインターンの内容を考え、

自分の経験したいことやスキルを元に、

企業の課題を解決できるインターンシップを社会人メンターと一緒に企画し、企業に提案を行い、実際に就労経験をするインターンだ。


その為に徹底的に自己分析やメンターと壁打ちをする。

とことん自分と向き合う三ヶ月を過ごし、

完全に民間の運営であり、会社のアイデンティティを世間に伝えていけくことができることに魅力を感じた、

沖縄県の株式会社Social Designが運営するCommunity Park coconovaにインターンを提案し、

実際に1年間の就労が決まった。

長期インターンで見えてくるもの

coconovaは「入ってもいいし、出てもいい、いつでも帰って来れるような場所」とし、

イベントスペース、カフェバー、コワーキングスペースとして運営されている。

自分で見たものを、自分の言葉で発信していきたいと考えていた匹田さんは、note(https://note.com/social_design/)を担当するはずだった。

しかし、スタートアップは基本的に人が足りない。

インターンが始まるとnote以外の業務でもなんでも挑戦した。

施設の運営管理、来客される方の対応、関連企業の対応…

書き出せばキリがないほど様々な業務を体験する中で、現場で動くことの大変さを知った。


それと同時に、長期インターンをしたからこそ、

「会社ってこんなふうに動いてるんだ」ということを肌で実感することができた。

インターンの期間が長ければ長くなるほど、

どれくらいの人が会社に関わっていて、

どんな繋がりがあって、

どんなストーリーがあって…

という部分が自然と見えてくる。

同時に会社の形は一つではないということも知ることができた。


もちろん会社というものは一つだけれど、関わる人によって会社の見え方やストーリーが違う。

だからこそ、企業説明会だけでは知り得ないような疑問を感じる面も見えてきたが、

これも長期インターンをしたからこそだ。

会社にいる人たちも人で、会社に関わってくれる人たちも人だからこそ

会社も人間みたいに日々動いていることを実感し、

そこに関わってくれる人たちの思いを知れることが長期インターンの魅力だと感じた。

何もない時間の中で

coconovaでのインターンも終了し、現在は休学中。

インターンにもいかなくて良いし、大学にも行かなくて良い、という本当に何もすべきことがない状況だ。

そんな中で、実は何もないことは不安な事でもあって、

この不安は社会が動いている中で、自分が動いていないからだろうなと分析し、

「人間って何もない時間に何してるんだろう?」と自分を俯瞰しながら生活している。


今後は自由な時間を使い、ZINE(個人の趣味で作る雑誌)を作りたいと考えている。

しかし、自分を発信することにおいてSNSや動画が主流な現代において、

なぜZINEなのか?

それは匹田さんの人生を振り返った時、「言葉」というものはとても大きな意味があったからだ。

幼い頃から感情が反射的に出た言葉ではなく、気持ちを言葉で伝えたいと考えてきた。

また、現在のインターネットが普及している時代において本や雑誌を読む時間は、

自分しかいない、誰も介入できない大切で特別な時間だ。

情報過多ですぐにスワイプされてしまう媒体での発信ではなく、

ZINEの向こうにいる一人一人に自分が感じていることを文字として発信し、届けたいと思っている。


就職については、まだ具体的な志望企業はない。

ただ、会社名という表面的な事よりも、

物事の一つ一つの本質を考え、意味を理解し、

それを伝えていくことのできる企業に就職したいと考えている。

後輩へのメッセージ

「何もしない時間を作ってみて」

意外すぎる答えが返ってきた。

匹田さん自身が先輩たちから「好きなことやってみたら?ないなら見つけてみたら?」と言われても、わからなかった。

自分のことなのにわからない自分はダメだと思うと、更に苦しかった。


しかし何もない時間を作ってみると、意外と自分が見えるようになることを知った。

もし「何もしない時間が怖い」と思うなら、なぜそれが怖いのか、

「何もない時間はいやだ」と思うなら、その時に自分は何をするのか…

自分を俯瞰してみる為にも、「社会と切り離されてみたら?」と匹田さんは笑う。


今、何かに挑戦してみたいけど、

自分の好きなこと、やりたいことがわからない人も多いだろう。

行動にうつしたいのに、自分のことがわからないが為に一歩踏み出せない事に葛藤している人もいるのではないだろうか?

好きなことがなくても、すぐに見つからなくてもいい。

あえて立ち止まることで、自ずと次のステップが見えてくるかもしれない。